2024年8月7日
他人や家族、仕事のために自分を犠牲にする。
辛いことから逃げない。
未来のために、今我慢する。
こういった”美徳”とされていることの多くは
「今の自分の本当の想いを後回しにする」もの。
”美徳”を重んじる風潮は、特に年齢層が上がっていくにつれ、まだまだ根強いかもしれませんね。
そして、”美徳”を他人に押し付けることはしなくても、自分にはそれを強いてしまう人は意外に多い。なぜなら”美徳”に背くと罪悪感や後ろめたさを感じてしまうからです。
ではなぜ、そもそも”美徳”が社会に必要だったのでしょうか?
それは、「支配者層が人々を支配しやすくするため」に作られたものだと思うのです。
人間にとっては、他者から罰せられるよりも、自分で自分を罰することの方がダメージが大きい。
だから”美徳”によって自分で自分を縛らせることは、人を支配する上でとても便利なんですね。
でも、「これが正しいよ、これが美しいよ」という”美徳”によって自分を縛り、犠牲にする時代はもう終わっています。
他人に決められた正しさや美しさを守ることが、自分の内面的な幸せをもたらすものではない
と気づく人が増えてきたからです。
もちろん、世の中で”美徳”とされているものがすべて悪いというわけではありません。
大切なことは、一般的に”美徳””正しい”とされていることを
在りたい自分であるためにそれが役立つのか?を自分の頭で疑ってみること。
それが、自分の幸せを主体的に創造するためには不可欠なプロセスなんだと思います。