なんてものは、あまり役に立たないと思っています(あくまでも僕の個人的な見解です)
なぜなら、自分の「やりたい」という想いを後回しにして、「やらなければならない」「やるべき」「やったほうがいい」という思考で動けば動くほど、人はやりたいことがわからなくなるから。
だから、もしもあなたが今、「自分のやりたいことがわからない」という状態なら、その思考パターンを変えることのほうが先決なんですね。
やりたいという「想い」よりも、やるべきという「思考」で動いてきた人が、その思考パターンのままに「やりたいことを見つけるワーク」に取り組んだとしても、「私のやりたいことはこれであるべき」という思考で答えを導くことになりがち。
結果、「これが私のやりたいことのはずだ!」と答えを見つけても、だんだんやっていくうちにしんどくなったりしていきます(あるいは、言い訳をみつけてそもそも始めなかったりする)。
「やらなければならない」「やるべき」という言葉の前提には「それは私のやりたいことではない」という想いがあります。
「やらなければならない」「やるべき」という思考で動けば動くほど、無意識下では「私はやりたくないことをやる人」「私はやりたいことをやれない人」というセルフイメージを育て、そのセルフイメージが現実を創っていくんですね。
あなたは、「やりたいことを見つけなければならない」と思っていませんか?
まずはこの「〜なければならない」から自由になること。
やりたいことを見つけるためには、「今は、やりたいことがない」そんな自分を受け入れることです。
次に、自分の想いを感じることをやっていきます。
それは一見、些細に見えるようなことでも大丈夫です。
「今、何を食べたい?」とか「今日の休み、自分は何をしたい?」といった自分の想いを感じていく。
そしてここでも「こうあるべき」という思考を入れない。
例えば「今日の休み、自分は何をしたい?」と問いかけた時、「映画を見に行きたいな〜」という想いと「でも、ちょっと面倒くさいな〜」という両方の想いが出てくることがあります。
この時、「面倒くさがる自分はダメだ!」「面倒でも行くべきだ!」と自分を裁かないことです。
「面倒くさいな〜」という想いも、自分の本当の大切な想い。
まずは、その「面倒くさい」という想いも受け入れた上で、「じゃあ、本当はどうしたいか?」を決める。
その答えは、「面倒くさいけどやっぱり映画を見に行きたい!」かもしれないし、「今日は家でゴロゴロしたい」かもしれない。
どちらを選んだとしても、それは「やりたいことをやった」体験。
こうやって、自分の想いを裁かずにやりたいことを主体的に選ぶ体験を重ねていくと「私はやりたいことをやる人」というセルフイメージが育ちます。
その結果、やりたいことをやる現実が創られていきます。