自分自身の内面と向き合い、現実を動かしていくためには
徹底的に自分原因で考える
ことが不可欠です。
「自分原因で考える」ことの重要性は、このブログでもくり返しお伝えしていることでもあるのですが、言葉が誤解を生みやすい部分でもあるので、改めて丁寧に解説していきたいと思います。
「自分原因で考える」とは、
「目の前のあらゆる現実は自分の意識が意図して創ったもの」という立場を取り、「なんのために、その現実を創っていたのか?」と自分に問いかけることです。
たとえば、
「なんのために、夫婦関係をうまくいかなくさせていたのか?」
「なんのために、上司にパワハラをさせていたのか?」
「なんのために、ビジネスをうまくいかせていなかったのか?」
「なんのために、既婚者の人ばかり好きになっていたのか?」
などの問いかけを自分に使うこと。
ここでまず、超超超!重要になのは
自分原因で考えるとは、「自分が悪かったからだ」と自分を責めることではない
ということです。
目の前の現実に対して、そもそも「今、悪いことが起きている」という意味づけがあると、その原因=自分が悪いという思考になりやすいのです。
ですが「今、悪いことが起きている」というその思考自体そのものが、現実をうまくいかせない原因だったりします。
これについては後ほど詳しく解説しますが、自分を責める思考は本っっ当〜に1ミリも役に立たないということだけ、まずは理解し、注意するようにしてくださいね。
さて、まずそもそも「自分原因」という言葉には、あらゆる現実は自分の意識が創り出したものである、という前提があります。
というと、「それって本当なの?」という疑問が湧いてくるかもしれません。
そして、その確たる証拠はありません(科学的には証明されつつあるという段階)。
ですが「あらゆる現実は自分の意識が創り出したものである」という前提が真実かどうか?その科学的証拠があるかどうか?を論じることは、自分の現実を変えていくという目的においてはさほど意味はないものです。
重要なことは「あらゆる現実は自分の意識が創り出したものである」という前提で現実を見てみることです。
それは、今まで使っていなかった視点を採用するということでもあります。
「あらゆる現実は自分の意識が創り出したものである」という新しい視点を採用すると、
「今の目の前の現実は、自分の意識が創りたくて創っていたのだから、自分で変えることもできるよね」
という新たな前提が生まれます。
この新たな前提が思考パターンを変え、思考を変え、行動を変える。
そして結果的に、現実を変えていくことになります。
たとえば虐待などのトラウマ体験がある人のためのセラピーで「私は悪くない」と言葉にして言ってみる、という心理療法があります。
僕は、この宣言には少し注意が必要だと考えています。
「私は悪くない」という宣言は、自分を責める思考から脱するという意味では確かに役に立つかもしれません。
自分を責める思考はもっともその人のパワーを奪いますから、一時的に気持ちが楽になることもあるでしょう。
でも、「私は悪くない」と宣言することで、「他の誰かが悪い」「この出来事はよくないことだ」という意味付けはそのまま維持されます。
これはつまり、「私は自分以外の誰かのせいで幸せになれない」「私は自分の幸せを主体的にコントロールできない」といった、自分の人生に対する主体性を放棄する前提を生むことになってしまうんですね。
結果、他人や環境にふりまわされる現実が続いていきます。
他の誰かのせいにする、あるいは時代や環境のせいにする【他者原因】の思考は、自分で主体的に現実を動かすことを難しくさせてしまうのです。
明日に続きます!
自分原因で考える②|自分原因の視点は、自分自身が体験するあらゆる現実について適用できる