『若くないと女性として見てもらえない』というセルフイメージを持っていましたが、シングルマザーで一回り以上年下の彼氏持ちの方(以下、Aさんとします)と仕事をする機会があり、身近な人にそういう人が現れて、若さのことは少し意識から逸れてきたように感じます。
ただ、Aさんと知り合ったことで『女性としての魅力』の新しい状況に直面しました。
少し前に仕事の打ち上げで女性はAさんと私、あとは男性で10名程度で飲む機会があったのですが、彼女はカラオケでもノリノリ、上手に男性陣にも絡んでました。
私はカラオケが苦手だし、軽い会話もあんまり上手にできません。
私はよく『真面目』といわれます。
それが悪いとは思ってなくて、仕事面では自分の長所だと思っています。
私は昔から落ち着いていると言われることが多く。
でもそれって女性の魅力としてはどうなのか…と。
実際、その飲み会でも男性陣はみんなAさんの周りに集まりメロメロ。
ちやほやと褒め称えてました。
取引先の上役の方が飲みの場所に偶然居合わせて。
その方も気に入ってAさんに新しい案件を頼みたいと。
男性がそういう女性が好きなのは頭では分かってはいても、実際目の当たりにすると惨めな気持ちやもやもやでいっぱいで。女性として魅力があると思われ、新しい仕事も決まって。全部を持っていかれたような気持ちでした。
今回、打ち上げの幹事を任され、みんなのスケジュールを調整し、場所を決め、会費を集め。
頼りにされてると思っていたけど、この一連の流れでみんなに都合よく使われてただけのかなとまで思ってしまって。
Aさんみたいに振る舞えないのは自分の性格だから仕方ない。
それを無理にやってもきっとホントの自分じゃなくて違和感だと思うんです。
男性はそういう女性に魅力を感じる、でも、私はそのタイプじゃない。
ただ、女性としての扱いだけならまだしも、仕事もそれが武器になって手に入るとなると、自分の全部を否定された気がして。
このもやもやはどうやったら消化できるのかなと。
こういうことに直面した時、心の持ち方、考え方、ものの見方の変換等、方法があれば教えていただければ幸いです。
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というご相談をいただきましたので、LINE相談室で回答しています。
Aさんみたいに振る舞えない自分=ホントの自分。
よく真面目だと言われる自分=ホントの自分。
ご相談者さんはなぜ、そのように信じていたのでしょうか?
そう自分に問いかけてみると、「あの時こうだったから」「あの時もこうだったから」と言うように、過去の記憶が思い出されるのではないでしょうか。
つまり、記憶の中にある自分=ホントの自分。
このように信じていた、ということですね。
ですがここで少しだけ疑ってみることもできます。
「記憶=真実なのか?」と言うことです。
「人の記憶ほど当てにならないものはない」とよく言ったりします。同じ時に同じ場所にいて、同じものを見ていたはずなのに、あの人と私の覚えている記憶が違う・・・ということは珍しくありません。それぐらい、記憶というのは不確かなものです。ですが、人は自分が記憶したものを”真実だ”と錯覚してしまうのですね。
まず知っておいていただきたいのは、ご相談者さんが「ホントの自分」と信じていたものは、不確かな記憶の集合体にすぎないということです。
そして、うまくいく人は、性格やふるまいは「着替えるもの」と考えています。目的や場面に応じて、自分の魅力や強みを引き出す性格やふるまいに着替えればいいだけ、という感覚です。
例えば、今までずっとカジュアルな服ばかりを着ていた人がいたとしても、「カジュアルな服=ホントの自分」ではありませんよね。ドレッシーな服に着替えることもできます。
そして、人によって、カジュアルな服の方がより魅力が引き出される人もいれば、ドレッシーな服の方が魅力が引き出される人もいます。
そういった「着替えることによって引き出される魅力、強み、個性」などが「ホントの私」だと考えた方が、より、ご自身の可能性が広がるような気がしませんか?
「人の”魅力”」について考える時に、重要なヒントとなるこんな実験があります。
「管理職が部下に対して辛口の評価を伝えながらも声と表情で温かい感情を示し続けると、部下は批判を受けたにも関わらず管理職との会話全体に対して肯定的な感想を抱いた」
(Michael.j.Newcombe and Neal M.Ashkanasy 2003)
・・・続きはLINE相談室(出口稀一公式ライン)で回答を公開しています。
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