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あらゆる体験から豊かさを創り出す【相対性】の視点とは

僕は2013年に起業して最初の2年ほどはまったく稼げなくて、毎日が孤独でとても苦しい時期がありました。

 

そんな時に僕の支えになっていたのは、それまでお世話になっていた福岡市役所の上司や同僚たちでした。

 

僕にとって、彼らは家族以上に温かく安心できる場所で。

 

当時はまともに食えていない自分が恥ずかしく、連絡を取れていませんでしたが
「いつか堂々とお世話になった人たちに会いに行きたい」
という思いが僕を支えてくれていたのです。

 

今は年に数回ですが顔を合わせることができて「あんた今なんしようと?」とコテコテの博多弁で心配してもらえることが心底嬉しいなあと思います。

 

孤独だった頃の寂しさを知っているからこそ、変わらず味方でいてくれる人たちのありがたさが深くしみるし、僕もその想いを言葉にして伝えたいなあと思うことができます。

 

白い紙に白いペンで書いても書いたものは見えず、黒いペンで書いてはじめて見ることができるように。

 

僕たちは、相対するものが存在することで、初めて”それ”を経験することができます。

 

いとこが残してくれたもの

一昨年の夏、僕の3つ年上のいとこが病気で亡くなりました。小さい頃から家族ぐるみで仲のよかったいとこで、優しい兄のような存在。

 

見舞いに行った時にはすでに意識がなく、おじさんとおばさんも覚悟を決めているようでした。

 

そのいとこが病床でつけていた日記を、おじさんが見せてくれました。登山が好きだったいとこは病に伏してから「もう一度山に登りたい」という願いを込めて新しい登山靴を買ったことが最後のページに書かれていました。

 

見舞いに行ってから2週間後ほどたった日。その願いは叶うことなくいとこは旅立って行きました。

 

お通夜を終えた数日後、夏の終わりの街を歩いていた時のことです。

 

街路樹の、緑色をした葉の隙間からきらきらと差し込む太陽の光と、生ぬるい風がほほを撫でてシャツが汗で身体にまとわりつく感覚を感じた時に
「ああ、この、僕が今まで当たり前に感じてきた感覚をいとこはどんなにかもう一度、感じたいと願っていたんだろう」
と思いました。

 

同時に「僕が今までの人生で豊かでなかったことなど一度もなかったんだな」という想いが強烈にわき上がってきました。

 

この時、いつも見ている風景がいっそう色鮮やかに眩しく感じられたのを覚えています。

 

自分や人生に対してまだまだ不足を感じていた僕に「僕が今までの人生で豊かでなかったことなど一度もなかった」と思い出させてくれたこと。

 

これが、いとこが命をかけて最後に僕に残してくれたメッセージなのだと思いました。

 

日々の困難や問題に直面した時、僕たちはその困難や問題にフォーカスし、
「私にはこれが足りない」
「これがないから幸せでない」
という不足感を育ててしまうことがあります。

 

そんな時ほど、こんな問いかけを自分自身に使うこともできます。

 

「今、生じている困難や問題が存在することでその相対として私が経験できる豊かさは何だろう?」

 

僕たちは、生まれた時から完全に自由しか経験したことがないと「自由とは何か?」を理解することはできないものです。不自由を経験してはじめて、自由とは何か?や自由の素晴らしさがわかる。

 

それと同じで、寂しさを知っているから人の温かさがわかる。

 

退屈を知っているから情熱の喜びがわかる。

 

どんな困難や問題にも、それを経験したからこそわかることがあります。

 

逆も然りで、不自由や寂しさ、退屈を感じることができるのは、人生に自由や愛、情熱がすでにあること、経験として知っていることの証明でもあるのです。

 

この【相対性】の視点を取り入れると、今、自分が置かれている状況のままで「今も、今までもずっと豊かさの中にいたのだ」と気づくことができます。そして、この気づきこそが自分本来の力を取り戻し、結果として現実的な豊かさをもたらしてくれます。

 

「今、生じている困難や問題が存在することでその相対として私が経験できる豊かさは何だろう?」

 

その答えがすぐに見つからなくても大丈夫です。

 

「答え(豊かさ)があるはずだ」という前提でこの問いかけを自分にくり返し投げかけていくこと。

 

それだけでも、巨大客船がゆっくりと方角を変えてまったく違う進路に進んでいくように、人生の進む先もまたゆっくりと大きく変化していきます。