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「自分基準」よりも「美しさ基準」で生きる

「深田恭子よりかわいいね」 ということはあっても 「深田恭子より美しいね」という表現はちょっと違和感がある。

 

それは【美しさ】とは相対的にではなく、絶対的に感じるものだからだと思います。

 

「君はダイヤモンドより美しい」と言うことがあっても、それは本当にダイヤモンドと相手を比べているわけではなく 「それぐらいあなたを美しいと思ってる」ことを伝える比喩表現なんですよね。本質的な【美しさ】は比較対象のないところで感じるものなんだと思います。

 

比較の先に【自分に対する誇り】を取り戻すことはできない

今まで様々な方々のご相談をお受けしてきて、そして自分自身と向き合うことを通して感じているのは、人は【自分に対する誇り】と【未来への希望】の両方が損なわれると人生そのものに対する気力を奪われてしまうということ。

 

一般的には自己肯定感とか自尊感情とか言われたりしますが、僕は【自分に対する誇り】という言葉がいちばんしっくりきます。

 

そして、人が自分に対する誇りを失うもっとも多い要因が 「みんな(あの人)と自分を比べること」。

 

みんな(あの人)が持っているものを持っていない
みんな(あの人)ができることができない
みんな(あの人)のように扱ってもらえない
みんな(あの人)より自分が劣っている、負けている
みんな(あの人)と自分は違う

 

こういった比較から、 人は自分に対する誇りを失ってしまうことがあります。

 

人と自分を比べることは優越感をもたらしてくれることもあって、優越感は自分を強くしてくれるように錯覚もするけど。 優越感と劣等感は常に同時に存在しているから、 優越感を握りしめている間は劣等感を手放せないし、劣等感に苛まれ続ける人は、手放したくない優越感を隠し持っていたりする。

 

僕自身、まあまあ長いこと優越感に支えられて生きてこれた時期もありましたが、同時に劣等感で自分を傷つけ続けてきた人生だったんですよね。

 

みんな(あの人)との比較の先をどこまで進んでも、本当の意味での【自分に対する誇り】を取り戻すことはできないのです。

 

【美しさ】基準で生きる

みんな(あの人)との比較から自由になって 【自分に対する誇り】を取り戻していくためには【美しさ】を基準に生きることなんじゃないかと思います。

 

軋轢を避けようとして本音を言わず、薄い会話をすることが美しいのか。

 

本当にやりたいことを諦めたふりをして、自分を守ることが美しいのか。

 

環境や条件のせいにして悲劇のヒーローを気取ってることが美しいのか。

 

スマートに卒のない自分しかゆるせなくて、泥臭くチャレンジしている人を醒めた目で見ている自分は美しいのか。

 

美しさは絶対的だから、ひとつひとつの選択や行動を
「それは美しいかどうか?」
肚(ハラ)で感じ、選ぶようになると他人にふりまわされることがなくなります。

 

他者基準(他人軸)をやめて自分基準(自分軸)で生きようとしなくても、美しさを基準にすれば、勝手にそうなってしまうのです。

 

ただ「それは美しいかどうか?」を頭で考えてしまうと「普通は」「こうあるべき」といった常識や道徳観に影響されてしまう。

 

大切なのは、肚(ハラ)で感じること。

 

自分の【美しさ】を貫くためには少しだけ勇気もいるのですけどね。

 

「それは美しいかどうか?」を基準に選んだ選択や行動が積み重なった人生に、誇りを持てないはずがないと僕は思うのです。

 

誰に何を言われようと、自分で美しいと思える生き方をしていきたいなあと思います。