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“タブー”を超えた先に触れられる世界

先日2人の友人と半年ぶりに会い、食事をしてきました。飲み会の類は僕はだいたいいつも15分で帰りたくなるタチなので(笑)そうでない数少ない機会でした。

 

この2人とは1泊2日の合宿でいちど一緒になっただけの繋がりですが、それぞれが少し特殊なバックグラウンドを抱えていて、その葛藤を誰にも言えずに生きてきた共通点があります。

 

相手の悲しみの深さを完全に理解はできなくても、それを想像し自分も似たような痛みを抱えていることを分かち合い、お互いの成長を喜び合う。この体験がどれほど人を癒し、勇気づけるのかを改めて感じた時間でした。

 

ダライ・ラマ、デズモンド・ツツの対話を納めた「よろこびの書」の中にもこのような記述があります。

 

私たちは喜びと悲しみをきっぱり分けようとするが、それらは固く結び合わされている

 

僕たちは悲しみを避けたいと願ってしまうものだけど、悲しみを経験することでしか知ることのできない喜びもまた、あるのだと思います。

 

“タブー”を超えた先に触れられるもの

背に腹は変えられない状況や、どうしようもなく人生がつらい時、それは
「“タブー”を超えていけ」
という潜在意識からのメッセージに気づくべき時なのかもしれません。

 

自分の短所をさらけ出すこと
人に頼ること
途中で投げ出すこと
怒りや悲しみを表現すること
誰かをがっかりさせること
お金を借りる・もらうこと
失敗すること
卑怯な手段を選ぶこと
自分の魅力を認めることなど、
何を“タブー”とするかは人それぞれに違うと思います。

 

その“タブー”は、自分自身を守る鎧のような役割を果たします。人は“タブー”という鎧を身につけることで、傷付くことや何かを失うこと、見たくない自分を突きつけられることを避けることができるのです。

 

その生き方の背景には、そうやって自分を守らなければ生き延びることができなかった人生があったのだと思います。

 

そして、その鎧で自分を守ることをくり返していると鎧はどんどん厚みを増し、またあまりにそれが自然な状態になると、鎧の存在を自覚することすらできなくなったりします。
 

いっぽうで“タブー”は自分を守る鎧であるだけでなく、自分と世界を隔てる境界となることもあります。“タブー”を守り続けることで僕たちは世界や他者から切り離され、孤独を深めたりこの世界で経験できる豊かさに対して自分を閉じてしまうこともあるのです。

 

これは逆に言えば、“タブー”を脱ぐことで初めて触れられる豊かさがあるということ。

 

それは、
自分が想像していたよりはるかに世界は優しい場所であること
人の温かさ
自分で孤独を選んでいたこと
もっと軽やかに生きていいこと
を知る体験と言い換えることもできます。

 

今まで自分を守ってくれていた鎧を脱ぐのは、とても怖いことだと思います。鎧を脱ぐことで何かが失われてしまうこともあるでしょう。

 

でも、それは自分にとって本当に本当に必要なものだろうか。

 

“タブー”を超えて鎧を脱いだ先に、どんな世界が広がっていきそうか。

 

そんなことを考えてみても良いかもしれません。

 

そして、あなたがその鎧を脱ぐことを待っている人がいるかもしれないことを、想像してみてほしいとも思います。

 

人生には、必要なタイミングで“タブー”を捨てるべき時がくる。僕は、そのお手伝いをしたいと思っています。