デヴィッド・R・ホーキンズ著「パワーか、フォースか」の意識レベル理論を実生活で活かす方法をお伝えしています

承認欲求は解決しなくていい

先日、継続セッションをご卒業された方からご感想をいただきましたので、ご紹介しますね。

今日ふと思ったんですけど、わたし、ながーい間、「認められたい」を握りしめてきたなぁ、って気が付いたんです。

誰かに、すごいと言われたい
誰かに、●●さんが
いてくれないと困ると言われたい

そんな気持ちをめちゃくちゃ握りしめてたんだなぁって。

でもでも、ほんとは、自分で自分を認めてあげたかっただけなんですよね。

なんか、最近そのことが自然に腑に落ちてきて、ものすごく軽い気持ちでいられるようになりました。

そのせいか、先日、久しぶりにある友人とLINEのやりとりをしていたら、

「●●ちゃん、変わったよね。なんだか前よりもずっと軽やかだし、キレキレな感じ」

と言われて、周りから見ても変わったって思われたってことは、やはり変われてきたんだなぁと再確認した感じです。

こうなれたのも、宮川さんとの出会いは欠かせなかったと思うので、改めて感謝の気持ちでいっぱいです。

ありがとうございます。

 

この方が書いてくださった
「誰かに、すごいと言われたい」
「誰かに、●●さんがいてくれないと困ると言われたい」
といった思いは一般的に承認欲求と呼ばれます。そして多くの人が、それを「悪いもの」と考えますよね。

 

でも僕は、自分の中にあるどんな欲求や思い、感情も必要で大切な一部であり、それを悪者にする必要はないといつもお伝えしています。自分の中の何かを否定して解決しようと躍起になることは、その“問題”に力を与え、逆に解決を難しくするだけだからです。

 

そもそも「誰かに、すごいと言われたい」という想いが願いを叶えるエネルギーになることもあるし、「●●さんがいてくれないと困る」そんな言葉を伝えたり伝えてもらう体験は、この世界で経験できるかけがえのない喜びでもある。だから、素直にそれを欲しがっていい。

 

ただ、こういった
「すごいと言われたい」
「●●さんがいてくれないと困ると言われたい」
といった欲求に執着するあまり苦しくなり、悩んでいる人もいると思います。

 

そのような人は、自分のその想いを客観視することを心がけると良いです。

 

客観視とは【主】と【客】を分離する作業。欲求を客観視すれば【欲求】と【それを見ている自分自身】が自ずと分離されるので、欲求に自分自身が振り回されなくなります。

 

では客観視とはどうすればいいかというと「自分のこころの動きを落ち着いて、冷静に他人ごとのように見つめる」ことです。

 

具体的には、
「すごいと言われたい」
「●●さんがいてくれないと困ると言われたい」
といったような想いが出てきて(この思いが出てくること自体は別に悪いことではないです)それが叶わず苦しくなった時、次のことを思い出してみてください。

 

「私は、自分で自分のことを認めていないから、他人に認められることでその埋め合わせをしようとしているんだな」

 

このとき、「だから、自分で自分のことを認めなければ!」と思わなくても大丈夫です(思ってもOKですが)。

 

「私は、自分で自分のことを認めていないから、他人に認められることでその埋め合わせをしようとしているんだな」

 

このように自分のこころの動きに気づいて、眺めて、そのまま放っておく。この体験を重ねることで少しずつ、承認欲求からくる苦しさを手放していくことができます。

 

そうやって何かを手放すごとに僕たちは「軽やかで、キレキレな感じ」になっていける。

 

意識レベルを高めるとは、軽やかさを取り戻していくことと同義です。