デヴィッド・R・ホーキンズ著「パワーか、フォースか」の意識レベル理論を実生活で活かす方法をお伝えしています

「子どもの頃夢中になったこと」の“意味”を知る

僕は保育園の年長さんの時、キャプテン翼の絵をよく描いていた。

 

いや、よく描いてたというより「狂ったように描いてた」が正しいか^^;

 

親に買ってもらったノートの隅々にまでびっしりと描き、ノートに描くとこがなくなるとチラシの裏に描き、チラシの裏がなくなるとうちじゅうの絵本の見返し(表紙の裏の無地の部分)にまで描く始末。とにかく無地の紙を見つけたら手当たり次第にキャプテン翼を描きまくってたのです。

 

よく、やりたいこととか天職を見つけるための質問として「子どもの頃に夢中になったことはなんですか?」ということを聞かれますよね。こう聞かれるといつも「キャプテン翼の絵をめっちゃ描いてたけど別に今は絵を描きたいわけじゃないんだよな・・」とモヤモヤしてました。

 

でも、何かずっと心にひっかかってたのです。

 

そしてここ半年ぐらい、自己対話のために幼少期のことをずっと思い出していて。

 

毎晩のように両親が喧嘩する姿を見ていた時。自分が周りの友達と違うことに気づいた時(僕はトランスジェンダー男性です)。

 

あの時、何を感じていた?

 

本当は何と言いたかった?

 

ということをなんども子どもの頃の自分に問いかけていました。

 

そしたらある時、「僕にとってキャプテン翼を描くことは祈りだった」ということが直感的にわかったのです。

 

子どもの頃、母親はよく泣いたり怒ったりしていたし、僕は僕で「僕はにはなんでチ◯チ○ついてないんだ?小学生になったら生えてくるんかな?」と悩んでいて。幼少期から僕のアイデンティティはぐらつきまくっていた。

 

そんな僕にとってキャプテン翼の絵を描くことは「ヒーローになりたい」という祈りを輪郭を持った形あるものにする、そんな意味を持っていたのだと思います。ある種、仏教の写仏に似たものかも。

 

こんなふうに狂ったようにキャプテン翼を描いていた記憶と、当時の自分が抱えていた葛藤と願いがストーリーを持って理解できた時、僕ははじめて「自分とわかり合えた」と思いました。

 

これまでの人生で経験したこと、失敗したこと、後悔していること、達成できたこと。すべてが必要なパズルのピースとして合わさり1枚の絵として完成に向かおうとしている、そんな感覚を持つことができたのです。

 

人生で起きることにはすべて意味がある。

 

この言葉をアタマではなくハートで理解できてから、僕は今までに感じたことのない深くて穏やかな自己受容、自己愛のような感覚を持続的に持てるようになった。

 

客観的には小さな気づきに見えるかもしれないけど、人生が変わる時って意外とそんなもんかもしれません。

 

「子どもの頃に夢中になったことはなんですか?」

 

もしあなたがこの問いに向き合うタイミングがあったら、「何をやったか」という行為だけでなく

 

「それをやっていた自分はどのような背景や想いを持っていたのか」

 

「その行為が当時の自分にとってどんな意味を持っていたか」

 

このふたつの問いまで広げて考えてみてほしい。

 

その答えが、あなたが自分自身とわかりあい、人生を変えるきっかけになるかもしれません。