真実の追求は、誰かが以前に信じていた全ての”真実”の疑いから始まる。
(ニーチェ)
ノーベル賞を受賞された本庶佑氏さんが「常識を疑う大切さ」を語っておられて、この言葉を思い出しました。
つくづく、「疑う力」って大切だな〜と思います。
それは、「信じる」ということ以上に。
僕たちは、生まれてから、実にさまざまな世界観、人生観、価値観、常識といったものを周囲から受け取りながら育ってきました。それは無自覚のうちに、です。
例えば、小さい子どもが人前で我がままを言ったり、お行儀よくできない時など、「◯◯ちゃん、そんなことして恥ずかしいよ〜」なんて言ったりしますよね。そうして、「恥ずかしいことは悪いこと」とか、「人からどう見られるかが大切だ」といった価値観を育てていくのです。
それらの世界観、人生観、価値観、常識といったものは、いつの間にか、自分を動かし、現実を創り上げていくルールになります。
例えば、、、
などなど、数え上げればキリがありません。
そういった無自覚に育てられた世界観、人生観、価値観、常識は、自分で持っていることにすら気づきにくいものです。そして、それらは自分を動かすルールとしてあまりにも当然に作動するので、その外にある世界は見えなくなり、存在しないものになります。
やりたいことができない、言いたいことができない。求めているものを手に入れるための行動ができない。などといった葛藤を生み出すのは、これらのルールです。それが、人の可能性を狭めてしまう。
だから、疑う力が大切なのです。
可能性を広げるという意味において、”適切に疑う”ことは、信じることの何倍もパワフルです。
やりたいことができない、言いたいことができない。求めているものを手に入れるための行動ができないといった場面に直面したとき、自分の行動を止めている世界観、人生観、価値観、常識とは何だろう?と見つめてみる。
そして、
こういった問いかけを使い、自分が当たり前のこととして採用していたルールを疑うことで、新しい可能性を開いていくこともできます。