「こんな幸せな日がくるなんて思ってもみなかった」
先日、父親の古稀を祝うために両親を東京に呼び、一緒に過ごしました。
この間、母がなんども口にした言葉です。
そしておそらく、同じ想いを家族が皆それぞれに感じていただろう、そんな週末。
この機会に、家族のことを書きたいと思います。
プロフィールページにはサラッと書いてますが、僕は生まれた時は女性でした。
今は社会的に男性として生活していますが、昔はセーラー服も着てましたし、就活の時はストッキングも履きました(!)
いわゆる性同一性障害というやつです。
今から5年前、
関内の小さな病院で手術をして、
ホルモン投与を始め、
家庭裁判所に行き戸籍名を変え、
10年間勤めた市役所を辞めました。
家族には事後報告。
相談すれば反対されるのがわかっていたし、それを押し切る自信もなかったんですね。
LGBTの方の中には、家族にカミングアウトすることで縁を切られてしまう人もいます。僕もその覚悟はしていました。
ただ、その時、想像以上に怖いと感じている自分にも驚きました。
僕が小さい頃から、うちの家庭も色々ありまして。
10代ぐらいまでは、家族団欒なんてものはテレビの中だけのフィクションと思っていたな。
それが現実世界に存在することを知った時はなかなかの衝撃でした(笑)
そんな感じで、家族に対して温かい感情を感じたことがほとんどなかった(それが、冒頭の母親の言葉に繋がります)。
だから、本当の自分の生き方を貫いて、親子の縁が切れたら仕方がないと思っていたはずなのに。
ああ、俺、怖いんやなーって。
※↑心の奥の声をつぶやく時だけ、一人称「俺」になります(笑)
そうやって、怖い想いもありながら、思い切って両親と姉に伝えました。
まあ、荒れますよね。
姉はわりとすんなり受け入れてくれましたが、やっぱり親世代の常識では簡単ではなかったと思います。
父は僕を思いとどまらせようとし(と言っても事後報告なのでどうしようもないですが)、母は自分を責めました。
その姿を見て、僕もまた自分を責めました。
それは苦しい時間でした。
でも、半年、1年と少しずつ時間をかけて、それぞれに葛藤があったと思いますが、最終的には受け入れようとする(「受け入れる」ではなく)決断をしてくれました。
実家に帰省したある時、母親がオムライスを作ってくれたことがあります。
ケチャップで「キイチ」と新しい僕の名前を描いてくれました。
「彼女か!」と心の中でツッコミましたが(笑)
嬉しかったです。
母親なりの意志表示をしてくれたんだなーと思います。
あれから5年、ホルモンの影響で僕はすね毛ボーボーになりましたが、両親からは今だに元の名前で呼ばれています。
両親にとってはこれからもずっと娘のままなんだろうし、それで良い。
自分の身体や名前に対するこだわりが0になったわけではありませんが、そこに対する興味はだんだん薄れてきています。
そして、その葛藤を持ちながら生きることに意味があるとも思っています。
身体も名前も、僕そのものではないから。
この身体や家族体験を通じて得た気づきを使って、世界に何を表現していこうか。
今の自分にとっては、そちらの方がより大切だと感じています。
↓今回の古稀祝いの写真を、姉が加工してくれました。