デヴィッド・R・ホーキンズ著「パワーか、フォースか」の意識レベル理論を実生活で活かす方法をお伝えしています

「凛として生きる」ということ

最近思っているのは「凛として生きる」って大事だな、ということ。

 

能力や性格、特性、外見や身体的特徴、過去の失敗体験など、自分の短所だと思うことは誰にでもあるのかもしれません。そして、その短所が自分の生きづらさの原因なのだと感じる人もいるでしょう。

 

でも、僕たちはそういった短所そのものによって苦しむのではないのです。また、そういった短所そのものが、その人の魅力を損なうのでもありません。

 

僕たちがつらいのは、その短所によって自分を卑下したり、己の存在を恥じて下を向いて生きることなのだと思います。

 

物心ついた時からセクシュアリティに葛藤を感じていた僕は、今から8年前に身体と戸籍を変えて、男性としての人生を生き始めました。もちろんそれで、快適になったことも沢山ありますし、心からやって良かったと思っています。

 

でも、自分が自分であることの苦しみは、身体や戸籍を変えた後の方が何倍も深くなりました。命をかけて、全ての過去や家族も捨てる覚悟で身体や戸籍を変えても「みんな」のように生きられないことに僕は絶望しました。その絶望や苦しみはここ数年間でかなり手放してはきたのですが、それでも完全に拭い去ることはできていませんでした。

 

でも、最近になってやっと気づいたのは、僕は外側を変えることばかりで「この自分と生きていくんだ」という覚悟を決めていなかったのだ、ということです。

 

今の自分に対する否定をモチベーションにして変わろうとしたり、何かをやろうとしたり、結果を出そうとすること自体は悪いことではないと思います。

 

でも、外側や行動、結果をどんなに変えるよりも「自分は、この自分と生きていくんだ」と覚悟を決めることほど自分を癒し、力を与えてくれるものはない。

 

逆に言えば、その覚悟さえ持てれば外側や行動、結果なんて大した問題ではないし、変えようとせずとも自ずと変わっていくものです。

 

僕はこれからも、「みんな」と自分を比べて落ち込んだり、普通に生まれたかったなと思うこともきっとあるでしょう。でも、そういった歪さも含めてこの人生で良かったのだと思うし、この自分を生きていこうと思っています。

 

自分の短所を抱えたまま、あらゆることをひっくるめてその自分と一緒に前を向いて生きる。自分を大きく見せるのでもなく、小さく見せるのでもなく、そのままの自分でものごとと対峙する。そう覚悟を決めること。

 

これが「凛として生きる」ことなんだと僕は思います。

 

「凛としているぞ」と思うだけで、僕は背筋が伸びて身体軸が整い、目の奥にグッと力が宿る感覚があります。

 

昨日、ゆらいだり落ちこむことがあっても、今日はまた「凛として」1日を生きていく。そんな人はとても素敵だと思うし、僕もそんな生き方をしていきたいと思っています。