平昌オリンピック、盛り上がっていますね!私もテレビにかじりついて応援しています。
競技後の選手のインタビューを見ていると、ほとんど全ての選手が「感謝の想い」を口にします。それもリップサービスではなく、心からの想いでそう言っているのが伝わってきます。
「やっぱり、感謝は、人の内なるパワーを高めるんだな〜」と、改めて気付かされます。
「感謝することの大切さ」は昔から多くの人が口にしてきたことで、今さら特別なことではないように思えるかもしれません。しかし人間の意識について深めるほどに、感謝が持つ力には驚かされるばかりです。
人は、感謝しながら不足や欠乏に目を向けることはできません。
そして「意識を向けたものが拡大する」という法則があります。
つまり、感謝できることや、今の自分がすでに受け取っている愛情や豊かさに意識を向け続けると、その豊かさが拡大し現実化(物質化)します。
逆に不足や欠乏に意識を向け続ければ、不足や欠乏が拡大し、現実化していきます。
例えば一流のアスリートは、仮に悪意を持った妨害行為があったとしても、そこに意識を向け続けることはありませんよね。
アスリートは栄光にたどり着くまでのプロセスにおいて、怪我やその他の困難を経験している人も少なくありません。
一流のアスリートは、それらの困難の中にも感謝できることを見出そうとします。これは脳科学的にも理にかなっているのです。
今、自分がおかれている現実を「よくないことが起きている」と見る時、脳は「戦うか?逃げるか?」の”危機回避モード”になります。身体は緊張状態になり、筋肉に血液(酸素)が集まる一方で、内臓に血液が行き渡らなくなります。すると短期的な瞬発力は高まりますが、長期的に物事を達成するパワーが奪われていくのです。
逆に、困難や逆境のなかにも感謝できることを見出すと、この”危機回避モード”が解除されます。この状態で達成したい目標やゴールに意識を向けると、脳の”報酬系”が動き始めます。この時、身体全体に血液(酸素)が行き渡り、リラックスした状態でパワーが生まれるのです。
感謝とは「感謝するべき」と強制されて感じるものでもなく、自然に内面から湧きあがってくる想いです。
しかし「感謝できることを見出す態度」は、自分の意志で選択することができます。
「感謝できることを見出す態度」とは、
という前提でその物事を見るということです。
どんなに「最悪だ!」と思える体験にも「感謝できること、気づけることがあるはずだ」という前提です。
すると、すべての体験にはいい面・悪い面が同時に存在していて、すなわち一つ一つの体験そのものが本質的に良いとか悪いとかジャッジできるものではなく、ただ必要なことが起きているだけ。そのような立場で現実を見るようになります。
このような態度は、デヴィッド・R・ホーキンズ博士が「パワーかフォースか」の中で主張している「意識レベルの高い状態」ともリンクしています。
意識レベルが高い人には、奇跡が当たり前に起こります。
奇跡とは、私たちの思考や常識の範囲では「ありえない」と定義される成功体験のことです。奇跡が当たり前に起きる状態とは、顕在意識の及ばない範囲で潜在意識がかじ取りして、好ましい現実を展開してくれている状態とも言えます。
「ありがとうを1万回唱えると、願いが叶う」というアファメーションを実践したことがある方もいるかもしれません。
言葉には脳の動きを変える力があるので、このアファメーションで現実的に様々な変化を創った方も多いようです。
しかし「ありがとうを1万回唱える」という行動の前提に「今の状態を避けたいからそれをやる」という想いがあれば、どんなにアファメーションを唱えてもうまくいきにくいかもしれません(この場合「1万回唱える前に挫折する」ことが起きたりします。これは「根気がないから」ではなく、潜在意識が変化に抵抗するためにわざわざ挫折させる方向に作用したということです)
ありがとうを1万回唱えるアファメーションで好ましい変化を創っていくためのヒントとしては、
などです。もし実践される場合は、これらを意識していただくと、より効果的に変化を起こすことができるでしょう。
ただそもそも、感謝は願望実現のためのメソッドではありません(メソッドとして上記のようなアファメーションを始めたとしても、意識が変容していくにつれて、単なるメソッドにとどまらないことに気づくはずです)
感謝は私たちに、豊かな人生(=幸福感を深く味わえる人生)をもたらしてくれます。そしてそれは、アファメーションを実践する・しないに関わらず、自らの主体的な態度によって選択できるものなのです。