貧乏で物が買えない八五郎が、壁に家財道具の絵を描いて「あるつもり」になって暮らしている。
そこにうっかり入った泥棒が、何も盗らないのも悔しいと「盗るつもり」になり、
泥棒を見つけた八五郎が「槍で泥棒を突いたつもり」になり、
泥棒が「だくだくっと血が出たつもり」でオチ。
という噺(「だくだく」という演目)を自宅でずっと練習していたら、連れ合いもすっかり覚えたようで。
朝、目覚ましを止めた後に
「目が覚めたつもり」
「歯磨きをしたつもり」
「朝ごはんを食べたつもり」
「出社したつもり」
とひとしきりやって彼女が遅刻しそうになるまでが最近の朝の一コマです(笑)
彼女と付き合い始めてから、もう10年ほどになります。
一度は別れる・別れないの危機もありましたが、今がたぶん一番関係は良いですし、これからもずっとこの関係が続く安心感があります。
今のような関係が築けた最大の理由は僕自身がコミュニケーションを変えたからかもしれません。
(もちろん、彼女が深い愛情で僕を包んでくれたというのが大前提としてあるけれど)
特にパートナーや家族など近い関係の相手ほど、自分の気持ちや悩みを素直に言えなかったりしませんか?
そして、自分の本当の想いは言いたくないくせに、相手には、そこに配慮した振る舞いを求めてしまう。
「察してよ!」と求めて、言葉でちゃんと伝えない。
そして、相手が自分の期待にそった発言や振る舞いをしてくれないと、「わかってくれない相手が悪いからだ」と責める。
自分を正当化する。
恥ずかしいですが、僕は何年もずっとそんなことをやっていました。
でも、そのせいで沢山彼女を悲しませたし、僕も一緒にいて心地よくなかった。
だから、そんな自分をやめました。
恥ずかしかったり、情けなかったりで本当は隠しておきたい想いこそ、ちゃんと相手に伝える。
そして、相手の想いをわかろうとする(わからなくても、「わかろうとする」)。
その上で、どうしたら2人の関係がより心地良いものにできるかを一緒に考える。
これらのことを意識し始めてから、彼女との関係はこれまで以上に安心と信頼に満ちたものになりました。
どんな想いでも、正直に伝えると自分も相手も安心することの方が多いものです。
逆に何かを隠すことや、言いたいことを言わないことは想像以上に人のエネルギーを奪います。それだけで相手との関係は疲弊していきます。
そして、そのことが
「私は言いたいことを言えない人」
「私はやれたいことをやれない人」
「私の言うことを誰もわかってくれない」
などの役に立たない信じ込みや前提を作り、現実に投影していきます。
もちろん最初は、自分の奥の奥にある、本当の想いを打ち明けるのは勇気がいるでしょう。
それで関係が壊れてしまうかもしれないという恐れもあるかもしれません。
でも、もし仮に正直な想いを伝えて相手に失望されるようなら、そもそも相性が良くないのだから無理して一緒にいなくてもいい。
相手に隠しておきたい想い、恥ずかしい、情けない、照れくさい想いほど正直に伝える。
言葉にするとシンプルなことですが、心地よいパートナーシップの礎はここにしかないんじゃないかと僕は思います。