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わたしは家

「自分の中に黒い部分がある」

 
こんな表現を使われる方が時々いらっしゃいます。

 
それは、怒りや、悲しみ、嫉妬、寂しさなどの感情や想いを指すことが多いようです。

 
「黒い」とは、「醜い」「暗い」そんなニュアンス。

 
本当は、色なんかついていないのに。

「醜い」「暗い」感情や想いなど、本来はないのに。

 
でも、僕たちは小さいころから、それらの感情や想いを「醜い」「暗い」ものと教えられて育ってきました。そして、それらの感情を感じる自分を責めたり、落ち込んでしまうのですね。

 
特に周囲から「いい人」という評価や好意を受けた”成功体験”がある方ほど、それらの感情を感じることを自分にゆるせなくなりがちです。人をだましているような、罪悪感が生まれるからです。

 
僕も以前は、そんな想いを持っていました^^

 
でも、僕はある人からこんな話を聞いて、とても気持ちが楽になったことがあります。

 
それは、「わたしは家」のようなものである、ということ。

 
家の中にはトイレもあるし、生ゴミを貯めておく場所もある。
ずっと生活していると、少しずつほこりも溜まっていきます。

 
でも、大切な人を家に招待するときには、わざわざそのゴミやほこりを見せたりしませんよね。
家の中で、最高に心地のよいスペースでおもてなしをするはずです。

 
生ゴミも、ほこりも、生きていれば自然に生まれるもの。家の中に暮らしている人にはそれが見える。でも、だからといってそれを否定しなくてもいい。

 
家の中にトイレや生ゴミを貯めるスペースがあったとしても、「わたしの家はトイレとゴミ部屋です」とは言いませんよね。

 
誠実であろうとする人ほど、「トイレやゴミ部屋が自分自身」で、お客さんをお迎えする綺麗なリビングは「自分ではない」と思ってしまいがちですが、それは”勘違い”です。どちらも自分。家全体がわたし。どちらもあっていいし、あるのが自然な姿です。

 
人に見せない部分でさまざまな感情を感じていても、「今日も最高の自分を見てもらったな」とそれを喜んでいいのです。

 
 

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