デヴィッド・R. ホーキンズ博士「パワーか、フォースか」で提唱されている17段階の意識レベル研究家_トランスフォーメショナルコーチ®宮川直己(出口稀一)のサイトです

使命を見つけたいと願うほど見つからない理由[使命を見つけるための2つの視点・前編]

「将棋の神様にお願いするなら、なに?」

 
棋士の藤井聡太竜王はイベントでこう質問された際、次のように答えたそうです。

 

「せっかく神様がいるのなら1局、お手合わせをお願いしたい」

 

藤井竜王のこの回答について、社会学者の橋爪大三郎氏はこう述べています。

 

「藤井竜王は、将棋を自分が指したいように指しているのではない。
数学によく似た頭の働きをしていて理性的にやっているのではないか」

 

使命を見つけたいと願うほど見つからない理由

自分の使命を知りたい、探し求めているという人は少なくないと思います。そしてネット上にも、「使命を見つけるための方法」といった情報やサービスが溢れています。

 
それらの方法を使えばある程度、それらしき答えに出会うことは簡単かもしれません。しかし、ひとたび何らかの答えを得て、生きる拠り所にしようとしてもなお「人生で迷子になっている感覚」が解消されないと悩む方もいるでしょう。

 
そのような人は、“自我の視点から離れる”ことが、ひとつの手がかりになるかもしれません。

 
使命が見つかれば、人生の充実感や満足度が高まる、ビジネスがうまくいく、病気をやめられる等々・・・使命について、このように謳っているサイトもあります。しかしこれらは基本的に、自我から生じる欲求です。

 
一方で、「使命」とは

  • 畏怖の対象となるような大いなる存在(神、サムシンググレート、宇宙など)から与えられた役割
  • 人生全体を俯瞰する全体的・長期的な視点(前述の「大いなる存在」の視点)により浮かび上がるもの

このような概念といえます。

 
つまり、僕たちがその使命に気づこうとする時、あるいは何らかの手法により(例えば占いなど)言語化された自分の使命を本当の意味で理解するためには、いったん自我から離れた位置に立つ必要があるのです。

 
もちろん、己の使命に気づきそのために毎日を生きることで結果として、人生の充実感や満足度が高まる、ビジネスがうまくいく、病気をやめられる・・・といったことも起こります。ただ、自我の視点から離れぬまま使命を求めたり、その過程で見つけた答えを自分に当てはめようしても、うまくいかないということです。

 
僕たちがこの世界で生きるためには、自我が必要です。ただし、使命というテーマを扱うためには、自我から切り離された大きく、広く、純粋な視点を持つ必要があります。

 

使命に気づくための2つの視点

己の使命に気づくためには、ここからお伝えする“2つの視点”が手がかりになります。

 

1.「大いなる存在」の視点を持つ
2.理性によって世界の根本法則を認知する

 

1.「大いなる存在」の視点を持つ

僕も含めて多くの日本人が、精神的支柱となるような特定宗教を持ちません。

いっぽうで「使命」とは、ウィキペディアによると

  • 使者として命ぜられた命令
  • 使者として任命される原因となった用向き(用事)
  • 与えられた重大な任務

このように定義されています。

 
つまり、使命という言葉には「命じた存在」「任務を与えた存在」がその前提に想定されるのです。

 
己の使命と向き合う時には、それを命じた「大いなる存在」の視点から人生を俯瞰することであらたな答えが導かれたり、既に手にしていた答えの「本当の意味」に気づくことができたりします。

 
※「大いなる存在」とは、特定の宗教を信仰しているか否かにかかわらず、「神」「サムシンググレート」「宇宙」など、自分にとって最もしっくりくる概念を想定します。

 
「大いなる存在」の視点から人生を俯瞰するとは、言葉を変えれば「自我を離れた視点に立つ」ということです。

 
マザーテレサが残した有名な言葉に

神よ、わたしをあなたの
平和の道具としてお使いください

というものがあります。

 
道具には自我はなく、使い手の意志によって動かされ、使い手の目的を果たします。このニュアンスを感じることがひとつの手がかりとなるでしょう。

 
畏怖すら感じるような、人智を超えた大いなる存在を想像し

「その大いなる存在は、世界がどのような場所になることを、この世界に生きる人々が何を経験することを望んでいるのか」

「そのために、大いなる存在は私に何をさせようとして、私にあらゆる経験や才能を与えたのか」

「大いなる存在は私のあらゆる経験や才能を、どのように世界のために使うことを望んでいるのか」

このように、自分自身に問いかけてみてください。

 
また、この問いかけを使う際には「人生と強みの棚卸し」をあらかじめ行なっておくと良いでしょう。

 
具体的には、ノートとペンを用意して以下のことを書き出してみてください。

 

・人生を棚卸しする
→自分がこれまで乗り越えてきたこと。時間やお金、情熱をかけて取り組んできたこと。つらい思いをしたこと。その他、印象に残っていることを全て書き出す

・自分の強みを棚卸しする
→人からよく褒められること。頑張らなくてもできてしまうこと。なぜかいつもその役回りがまわってくることを全て書き出す

 

大いなる存在の視点から見えるもの=「大層なこと」とは限らない

ここで注意したいのは、「使命」とは必ずしも大層なこと、つまり他人から見て立派に見えたり沢山の人から感謝されるようなこととは限らないということです。「自分の使命は、見栄えの良い物であって欲しい」という願いは、自我の欲求です。

 
特別に誰かに賞賛されたり、感謝されたり、褒められたりすることであろうとなかろうと、この世界を少しでも美しい場所に変えるために行動することが、僕たち一人一人に与えられた使命です。

 
この世界でたった一人にでも励ましや癒し、愛を渡すことができたのであれば、あなたはすでに使命を生きているのです。

 

大いなる存在と対話する

前述の問いかけを使っても、はじめはなかなか思うように答えが出てこないという人もいると思います。

 
そのような場合は、「大いなる存在と対話する」ことを日頃から行なってみると良いです。

 
そのためのヒントとして、国際基督教大学/魯恩碩(ロ ウンソク)教授著の『ICU式「神学的」人生講義この理不尽な世界で「なぜ」と問う』の中で紹介されている「祈り方」をご紹介します。

 

祈るときには、子が信頼するお父さんに話しかけるように、しゃべりたいことを何でもしゃべればいいのです。

必要なことがあれば「お父さん、私はこれが欲しいです」と言います。

不安なことがあれば「これが心配です。私を守ってください」と言います。

嬉しいことがあれば、「本当にありがとう」と感謝します。

何か悪いことをやってしまったと後悔することがあれば、「私が悪かったです。お赦しください」と告白します。

 

キリスト教の祈りは、「私の願いをぜひ叶えてください」というだけではないんです。

(中略)

愛と憐れみに満ちた「パパ」「お父ちゃん」である神様に呼びかけ、その神様に対して、腹を割って自分のすべてを話す行為です。

ここでの「パパ」「お父ちゃん」には、あなたが想定する神、サムシンググレート、宇宙などの「大いなる存在」を置いてください。

 
毎日数分でも、この「大いなる存在」と対話する習慣を持つことで、よりその存在をイメージしやすくなります。すると、使命に気づくための問いかけについても、直観的に答えを導けるようになるはずです。

 
長くなったので、今日はここまで。

 
「2.理性によって世界の根本法則を認知する」
については、次回の記事で続きを書きます。