自分の中にある美しさや強さに気づきたいなら、醜さや弱さを受け入れるとよい。
自分の中にある高尚な想いに気づくためには、低俗な欲求を受け入れるとよい。
自分がそのままで特別であることが腑に落ちるには、平凡で取り柄のない自分を受け入れるとよい。
どちらかを見ないようにして、もう一方だけを受け取ることはできないものです。
また、受け入れるとは、諦めることとは違います。
「私っていつもこうだから」という自虐とも違います。
それは、”開き直る”という感覚に近いかもしれません。
「それが俺やで!」
「それが俺やで!なんか問題ある?」
という感覚です。
人はどんな人にでもなることができます。
それが、本当の願いなら。
僕も、”自分以外の誰か”になろうとしていた時がありました。
そのために頑張って頑張って何年も努力しましたが、叶いませんでした。
今ふり返るとわかりますが、それは自分の本当の願いではなかったからです。
自分の醜さ、弱さ、低俗さ、平凡さを否定していると、人は自分の本当の願いに気づけなくなります。そして、”自分以外の誰か”になろうとする。その方向の努力は実を結びにくいだけでなく、自分をどんどん苦しくさせます。
醜く、弱く、低俗で、平凡な自分を丸ごと受け入れて、引き受けた時、自分の本当の願いに気づくことができるのです。
自分のやりたいことがわからない、やりたいことがあるのに動けない、自分の強みがわからないという人は、自分の醜さ、弱さ、低俗さ、平凡さを受け入れていないのかもしれません。
自分で自分の価値を認められない、自己否定してしまうという人もそうです。
あなたは、醜く、弱く、低俗で、ごくごく平凡な一般ピープルです。
まずそれを認めること。
そんな自分を引き受けて生きる!と肚をくくったとき、自分の中の純粋で、美しく、熱いものに触れることができます。