相手の想いも自分の想いも等しく尊重し、伝え合い、わかりあうアサーティブコミュニケーションであなたの問題解決をサポートします

「自分の課題」と「相手の課題」を切り分ける

  • 子どもの不登校や問題行動
  • 職場の上司や部下に対する不満
  • パートナーの仕事やプライベートの悩み
  • など、「自分以外の誰か」にまつわる悩みを抱えている方も多いと思います。そんな時、僕たちは「相手が変わることで悩みが解消されてほしい」と願うものです。ですがこの願いが期待通りに叶うことはほぼありません。

     
    「自分が変わった結果、相手も変わる」ということは起こりうるんです。ですがそれはあくまで結果論。

     
    自分が変わることで「相手がいつ、どのように変わるのか(もしくは変わらないのか)」はコントロールできない。それは相手にしか決められないことだからです。

     
    これはあらゆる人間関係に共通する原則なので、これを受け入れられないと自分がつらくなるばかりです。あるいはこの原則にあらがい力づくで相手を変えようとするほど、事態はますます困難な方向に向かいます。

     
    自分以外の誰かにまつわる悩みを解決するには「自分の課題」と「相手の課題」を切り分けること。そのうえで、相手の課題に踏みこむことをやめ、自分の課題に取り組むことが大切です。(これは「課題の分離」というアドラー心理学の考え方です)

     

    自分の課題を他者を使って解決しようとするのをやめる

    具体例をあげてお話しします。

     
    ※子どもの不登校を例に取りますが、職場の上司部下やパートナーにまつわる悩み等にも同じ構造が見られることがあります

     
    例えば、子どもが登校しないという事態が生じた時、多くの親御さんは心配してさまざまな解決策を探し求めると思います。それ自体は親心、愛情からの行動ですし、たとえそれが短期的に実を結ばなくても必ずお子さんには伝わります(見た目では伝わっていないように見えても、子どもはちゃんとわかっています。ただそれをうまく表現できないだけです)。

     
    ですので、短期的に効果が現れる・現れないに関わらず親の奮闘そのものが、子育てのプロセスにおいてとても価値があるものなのです。

     
    いっぽうで、子どもが登校しないことで親自身がどうしようもなくつらいと感じることもあると思います。この時、解決すべきは「子どもが登校していないこと」ではなく「親自身の課題」と考えてみると、新たな糸口が見えてくることがあります。

     
    例えば、そのつらさは

  • 自分が周囲からダメな親と思われたくない(世間体など他者の目を気にしている)
  • 自分はダメな親だと自分に烙印を押してしまう(親自身の自己否定)
  • 子どもの将来を考えると不安でたまらなくなる(子どもの力を信じていない)
  •  
    こういった親自身の課題から生じていることがあります。

     
    つまり、「親自身の課題を子どもを学校に行かせることで解決しようとしている」ことともいえます。(あるいは、自分の課題から目をそらすために誰かの課題を躍起になって解決しようとすることも、親子関係にかぎらずよくあるケースです)

     
    このように僕たちは自分の課題を他者を使って解決しようとすることがしばしばありますが、これをやり続ける限り自分の幸せや人生の満足度はその相手に左右されることになります。そして当然に、相手には相手の意思や自由がありますから、自分の思い通りにコントロールすることは不可能。これがストレスとなり、生きづらさの元になるのです。

     
    この悩みを根本的に解決するためには相手の問題をどうこうしようとするのではなく、自分と相手の課題を切り分け、自分の課題に取り組まなければなりません。

     

    「相手とどのように向き合うか」という自分の課題に取り組む

    いっぽうで、学校に行くか・行かないかを選択し、その選択から生じる結果を引き受けるのは子ども自身。それは子どもの課題です。子どもの人生は子どものものであり、子どもの意思と自由があり、その選択に親が踏みこむことは子どもの人生に対する主体性を奪うことにもなります。

     
    とはいえ、
    「いやいや、子どもは世の中を知らないから親が決めてあげないとダメでしょう」
    「子どもが登校しないのを放置しておくのは親として無責任では?」
    という意見もあると思います。

     
    もちろん、課題を切り分けることと放置、放任は違います。極端な例えをすると、子どもが万引きしたとして「それは子どもの課題だから親があれこれ言うことではない」という話にはならないですよね。元児童相談所職員の僕がいうのもアレですが、ひっぱたいてでも辞めさせなければいけません。

     
    それと同じで、子どもが学校に行きたくないと言う時にああそうですかと放っておくことが「課題の分離」ではないのです。またそれは、子育てに対する信念や価値観を放棄することでもありません。

     
    あくまでも重要なのは、自分の課題に意識を向けることです。そして、大切な誰かが問題を抱えている時に自分が乗り越えるべき課題とは、「その相手とどう向き合うか」ということです。

     
    向き合うとは、頭ごなしに否定することや逆に迎合して言いなりになることではなく、あるいは自分の怒りや不満、つらさを表情や態度で「察してもらおう」とすることでもなく、対等な人間同士として相手の言葉に耳を傾け、自分の信念や思いを言葉で伝えることです。その上で、相手の課題については本人の主体性を尊重し、自ら考え、選択し、その道を進めるようサポートすることです。

     
    僕はこれまで、たくさんのご家庭を見てきましたが、どれほど困難に見える問題が生じていていも、親が子どもに向き合うことを諦めなければ最終的には事態は好転していくものです。

     
    時には、子どもの選択により失敗することもあるかもしれませんが、それも結果論にすぎません。親が決めた道に進んでも失敗することはあります。

     
    人は、自分で選んだ道ならその結果を引き受ける覚悟も生まれますが、誰かに決められた道で失敗したら「うまくいかないのはあいつのせい」という他責感情を生むだけ。するといつまでたっても自分の課題に向き合えず、自分の選択の責任を負えない人になってしまいます。

     
    自分と相手の課題を切り分け自分の課題に取り組むこと。

     
    頼まれてもいないのに相手の課題に踏み込まないこと。

     
    相手の課題解決に懸命なふりをして自分の課題から目をそらさないこと。

     
    これは子育てに限らず、自分以外の誰かにまつわるあらゆる悩みに共通して同じことがいえます。

     
    この「課題の分離」という視点を持つだけでも、自分の誰かに対する関わり方にちょっとした違和感を感じられるかもしれません。その違和感を見逃さないことが、現状を変えていく突破口になります。