現実を主体的に動かしていくために超重要な、
徹底的に自分原因で考える
シリーズ、今日がラストです。
↓前回までの記事は、こちらから↓
【重要】自分原因で考える①|「人のせい」にすると、一時的に気持ちは楽になる。でも現実は動かない
【重要】自分原因で考える②|自分原因の視点は、自分自身が体験するあらゆる現実について適用できる
「自分原因で考える」ことについて話をしていると、ときどき、こんな質問をお受けすることがあります。
「犯罪や事故の被害者とか、物心ついてない頃に虐待を受けた子どもの人も、自分原因で考えるってことですか?」
この質問に対する僕の答えは「yes」です。
ですが、ここは少し慎重に考えていく必要がありますので、丁寧に解説していきますね。
まず、
「犯罪や事故の被害者とか、物心ついてない頃に虐待を受けた子どもの人も、自分原因で考えるってことですか?」
この質問者が、そういった事件や事故の当事者 の方ではない場合。
この場合は自分原因の視点を活用するための質問ではなく、「納得すること」が目的の質問なので、その答えを論じることはあまり役には立たなかったりします。
自分原因の視点はあくまでも、自分自身に対して適用することで気づきをもたらすものなので、
「私は何に気づくために、このニュースを見ているのだろう?」
「このニュースは、社会に何を教えてくれているのだろう?そして、その教えは私自身にとってどのような意味があるだろう?」
このように、あくまでもそのニュースを見ている自分自身に対して、自分原因の問いかけを使うと良いでしょう。
では、先ほどの質問者が事件や事故の当事者の方である場合。
この場合は、自分原因の視点の使い方にはくれぐれも慎重を期してください。
まずは、ご自身を癒し、安心できる生活を取り戻すことが最優先です。
その上で、これからの人生全体を考えていく時、今後の生き方に意識を向ける時期がきた時に、自分原因の視点を使っていくと良いでしょう。
自分原因の視点は、「”今”と”これからの未来”」のために使うものだからです。
具体的には、次のような問いかけをご自身に対して行ってみてください。
「私は何に気づくために、この体験を私の人生に持ち出したのだろう?」
「この体験は、私のどんな生きる目的、存在理由に気づくためのものだったのだろう?」
「この体験を自分の人生に持ち出すことによって、私は世界に、どんな価値をもたらしたいのだろう?」
・・・・・・・
事件や事故など、一見不条理に見える体験に自分原因の視点を取り入れることは、「被害者であり続けることをやめる」ことでもあります。
↓※こちらの記事もご参考ください※↓
性被害トラウマからの解放-セッション記録より
被害者として怒りや悲しみを持ち続け、それを社会に訴えたり、社会を変えていく原動力に変えていく生き方もできるでしょう。
ですが、被害者の立場を抜け、自分の幸せや自分のあり方を他の誰でもない、自分自身で決めていく生き方もできます。
どちらが良いとか、悪いとかではなく、自分の意志においてどちらも選ぶことができるのです。
そして、くり返しになりますが「被害者であり続けることをやめる」とは、
自分が悪かったからだ、と自分を責めることではなく、
相手の行為を正当化することでもなく、
その時に感じた悲しみ、怒り、寂しさを我慢しなければならない、とか「なかったことにする」ということでもありません。
その時の自分を否定したり、置き去りにすることではないということを、くれぐれも覚えておいてください。
人生においてよくも悪くも大きな影響を与えた体験にこそ、自分原因の視点を取り入れることは意味を持ちます。
自分原因で考え、気づきを得ていくことで「私の人生には、私にとって必要なことしか起きていない」という重要な感覚が生まれ、育っていきます。
この重要な感覚こそが、自分の人生を主体的にコントロールし、自分の幸せを自分で創造する力に変わっていくのです。